ポップカルチャー偏愛記

なんだかんだで結局J-POPにどっぷり浸かり救われながら日々を送る28歳女子の、切々たる日々に触れるすべてのポップカルチャー(主にジャニーズ)についての記録

【後編】わたしたちにはファンタジーが必要だ 〜5月の少クラプレミアムを観て考えたこと

前編はこちら

chatnoirpop.hatenablog.com

 

少クラプレミアムでダイノジ大谷さんが断言した、「NEWSの魅力は物語性ではなくファンタジーである」という言葉に触発されていろいろ考えた、後半になります。

流れ上ちょっと自分語りが入りますがどうぞお付き合いください…。

 

わたしは中2くらいまでJPOPとテレビが大好きな、どこにでもいる女子だったのですが、中3から急にインディロック(いわゆるロキノン系、サブカル系)に目覚め、そのあとすぐにUK、USのインディへと走り、大学卒業までそっちのほうへズブズブにはまっていきます。

あんなに好きだったジャニーズも、かろうじてスマスマだけはたまに見てるくらいの感じになりました。なので2003年頃から5年間くらいのJ-POPやテレビ関連の知識はかなり抜けていると思います(いまだに嵐をあんまり知らないのはたぶんそのせい)

当時は「ポップであること=悪」とまではいかないものの、ポップであることを無価値に感じていたことは確かです。

自分の国のポピュラーな音楽よりも、遠い国の誰も知らない音楽を聴いては興奮と喜びを感じていました。

 

そんなわたしが、日本の音楽、特にメインストリームのポップミュージックに戻ってくるのは大学2年生の春のこと。

きっかけは90年代の王子、オザケンこと小沢健二のアルバム『LIFE』を友人に「これめっちゃいいから!」と無理やりに貸されたことでした。

 

豊富なオタク的音楽的知識に基づいて、過去のさまざまな音楽から拝借されているオザケンのポップネスにわたしは夢中になりました。

(とはいえ、単純な音楽的魅力だけじゃなく、オザケンがよく音楽番組に出ていた90年代、わたしの幼き頃の記憶を呼び起こすようなノスタルジーを音楽から感じたというのもあったかもしれません。あと、あ、この曲知ってる!という単純な喜びもあったかも)

 

そしてさらにそこからいわゆる渋谷系と呼ばれる音楽にはまっていき、そのルーツになっている、たとえばアメリカ黒人音楽やらソフトロックやらを聴くようになり、ついには「遅れてきた渋谷系」を自認するようになります←バカ

 

わたしがオザケンに感じたのは、

「自分の趣味、嗜好や、音楽の歴史への目配せがここまではっきりとしているのに、そんなことを知らない人をも笑顔にさせてしまう、大多数の人に受けるポップミュージックを作ってしまうなんて、なんてかっこいいんだ」

「アーティスト性をわかりやすいポッスネスで包み隠して、意識的にポップスのくくりに入ろうとするオザケンはなんてクレバーなんだ」

「アーティスト性ばかりを重んじて、いわゆる"商業音楽"を軽んじるのはなんて視野狭窄かつ馬鹿げた態度なんだ」

ということでした。

 

こうしてオザケンのおかげで、「アーティスト性」を重んじていたわたしが「ポップであること」を肯定的に見るようになります。明確なパラダイムシフトが起きたのでした。

 

(ちなみにそれはわたしの別ブログで、星野源の去年のアルバム『Yellow Dancer』について書いた記事でも言及しております。

彼自身のパーソナルな趣味/嗜好/体験に基づいた作詞/作曲/音作り/パフォーマンスであり、様々な音楽を聴いてきているいわゆる“玄人”をも唸らす曲の強度があるにも関わらず、老若男女に好かれ、踊らせることのできるポピュラーミュージックとして、かなりの訴求力と普遍性がある。

最近聴いている音楽① 〜星野源 / Week End | 黒猫小品|パリに暮らす日本人の夢と記憶

 

あとはオザケンと同時期に起こる、山下達郎再発見パラダイムシフトに大きく寄与しています。完全なる音楽オタクでありながらポップ志向の強いヤマタツは、まるで職人のよう。

 

chatnoirpop.hatenablog.com

 

そして忘れちゃいけないのがPerfume。「アイドルソング」を、音楽として単純にかっこいいと認めていいんだと気づかせてくれたグループです。

さらにアイドル自身だけではなく、その「作り手」のほうに意識を向けるようになったのもパフュームのおかげです。演じ手+作り手=アイドル、というわたしの認識をはっきりさせてくれました。

2000年代の途中、「Drink! Smap!」あたりから、スマップのアルバムで注目度の高いアーティストがばんばん起用されるようになったということもありました。

 

アイドルは本質的に大衆音楽のど真ん中を目指す存在だと思いますが、それをマネジメントしている作り手自身がもともとはアーティスト性を強く出した活動をしているという事実は、「アーティスト性」と「ポップス」という二項対立がそもそも成り立たないことを示しています。

 

そしてアーティストとしての自身の活動はぱっとしないけど、プロデューサーや作詞作曲ですごくいい仕事をしている人がいるのはなぜだろう、と考えたとき、自分の活動では自意識だとか自分の美学を出したくなっちゃうからいけないんじゃないかと思い、すなわち「Jポップ」として売れるためには、ある程度自分本意な欲望、嗜好を捨てて、大衆に「迎合」する必要があるのではないかと思いました。

「迎合」というのは乱暴だとしても、つまり主観で動くのではなく、客観的に自分を見て、自分に何が求められているか、人々/時代が何を望んでいるかを悟る。そして、それに合致するような音楽(以外のものでもすべての文化)を生み出す、ということです。

自分を文化の中のひとつの「アイコン」とみなす。自己を消すことを意識して行動する。「ポップカルチャーの中に身を置く」ということは、多かれ少なかれそういうことなのだとわたしは思うに至っています。

そしてそれは、ポップカルチャーの中で生きていく、とよっぽど腹をくくっていないとできないことだと思います。そうやって「腹をくくった人」こそわたしはプロフェッショナルだと思いますし、そういう人こそ長期的に成功をしている気がします。

(結果としてオザケンも短い「ポップスター」期間ののち、メディアへの露出が極端に減ります。それでも、オザケンオザケンなりの「大衆音楽」を追求しています。今でもそうです。2010年の「ひふみよ」ライブで、「この街の大衆音楽の一部であることを、誇りに思う」と語った彼の言葉が、それを物語っています)

 

自らの役割に意識的であること、大衆・時代を映すことがポップカルチャー表現者の必要条件であるとすれば、それを極めることができた人間こそが「ポップスター」です。

そして「アイドル」は、さらに活動の根幹に、「みんなを笑顔にしたい、幸せにしたい」という、言葉にすると陳腐だけど非常に切実な願いがある人たちだと思います。

 

自らの役割に意識的であること、大衆・時代を映すこと、皆を笑顔にしたいと思っていること。それを実践している人は、今の時代では中居くんをおいていないとわたしは思っています。

つまり中居くんは正真正銘のポップスターであり、正真正銘のアイドルなのです。

中居くんほど自分の役割に意識的な芸能人はいない。中居くんほど自己を捨てさることに躊躇がないアイドルはいないのです。

インタビューなどを読んでいると、SMAPの活動、芸能人としての活動において、中居くんが自分の趣味や自分の欲望に従って何かを決断している様子はまったくなさそうなのです。

「何をしたら皆に喜ばれるか」「SMAPとして、中居正広として何を求められているか」。中居くんが考えているのはいつも自分のこと以外です。自分がどう見えるかじゃない。テレビでもコンサートでもグループの活動でも、たとえばシングル曲を選ぶときでも、いつでもそうです。

震災の被害を受けた地域にこっそりボランティアに行くのも、皆を笑顔にしたいという願いと、自分自身の役割と裁量を認識しているがゆえのことだと思います。(そういう中居くんの姿勢を見ていると「ノブレスオブリージュ」という言葉を思い出します。本当にかっこいい)

そういう中居くんの姿勢は、目指そうと思って目指せるような、真似しようと思って真似できるような、一朝一夕でモノにできるようなものではない。

 

そして、その姿勢にともなう実力を培ってきたのが我らが中居くん。長くなるとあれなのでさらっと流したいけど、これだけは観てほしい、わたしが中居くんを再評価することになる直接のきっかけになった、マイケル・ジャクソンへのトリビュートステージです(以下の映像8分くらいから始まります)


HD『中居くん ダンス ノーカット』SMAP dance

 

これを観てわたしは、マイケルへのトリビュートをこういったかたちで行えるのは今現在日本で中居くんしかいないだろうと思いました。日本一のアイドルが、King of Popへの純粋な憧憬と尊敬がこんなにも溢れるステージを作れるって、なんてかっこいいんだと思いました。そしてそれを、テレビとかじゃなく自分のホームともいえるSMAPのコンサートで披露するというのも、多岐にわたって活動している中居くんだけど、まさに彼の基礎の基礎にはMJイズムがあるという気がして、歌って踊る中居くんが好きなわたしは嬉しい。

何度もこの映像を見ていると、中居くんは「アイドル」「ポップスター」なんて言葉では足りなくて、日本で一番の「エンターテイナー」と呼ばれるべきだと、わたしは気づきました。

 

で、まあこんなことやそんなことがありまして、中居くんは孤高の存在で、中居くんを上回るような覚悟と実力を持ってるアイドルなんていない、わたしはそう思っていたし、中居くんがあまりにすばらしいので、別に他にいなくてもそれでいいとも思っていました。

 

  • そこに現れたNEWS(ようやくきた…長くてすみません)

わたしとNEWSとの出会いはすでにさんざん書いたので割愛しますが、 

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大谷さんの発言を受けてもう一度このDVD見てみました。

おそらくNEWSの美恋魂DVDは、いろいろと悩み苦しんできたジャニーズ事務所の男の子たち4人が、アイドルという役割を人生をかけて引き受けた瞬間が収められている、貴重かつ稀有な映像作品と言えると思います。 

 

その瞬間っていうのは、そう簡単に見られるものではない。

わたしは、中居くん以外でこんなにも切実にアイドルという役割を引き受けたジャニーズの男の子を知らなかった。しかもグループ全員が同じ決意で同じ方向を向いている

終盤の4人の挨拶は、本当に、すべてのアイドルファン、音楽ファンが見ておくべき、日本のポップカルチャー史に残るシーンだと思います。

で、そこからの「フルスイング」! そしてセットのお城の階段を登っていく4人!花火ドーーン!!ですよ。

そこにきて、まさに4人が真に迷いない「アイドル」へと変貌を遂げる感じがするんですよね。自らの役割を完全に理解し、いよいよ決意と覚悟を持つに至ったという。

すなわち、「みんなを笑顔にする、幸せにする」=ファンタジーの世界の中で生きる(大谷さん風に言うと)という使命を受け入れた4人なわけですね。

もしかしたらファンの皆を前にして、内心を吐露するその行為が、「真のアイドル」となるための最後の、究極のイニシエーションだったのかも。アンコールで歌う「チャンカパーナ」は、コンサートの冒頭で歌った「チャンカパーナ」とは比べものにならないくらい強いもの。


その「内心の吐露」からの「フルスイング」(=まさにNEWSの物語の曲)という流れが、あまりにすばらしいので、わたしはその物語を念頭に置いてずっとNEWSを考えていたわけです。

だけど、大谷さんの断言する「ファンタジー説」を聞いて、確かに、4人の告白自体ではなく、その前後に4人が見せてくれるキラキラとした世界こそが美しいのだ、と気付かせてもらいました。

つまり、「物語性」は最初から、NEWSというグループがもつ「ファンタジー性」を引き立てるひとつのファクターでしかなかったわけです。

 

  • ファンタジー=エンターテインメント説、そしてファンとアイドル

自分たちとファンたちの強い意志でグループを続け、自分たちだけにできることを模索して、自分たちの力で道を切り拓いている、NEWSというグループに、魅力を感じた。

音楽が好きだ、というところから入ったものの、人として、グループとして、尊敬する気持ちが芽生えた。そしてわたしも、微力ながら彼らを応援したいと思った。この人たち、ファンの人たちに、二度とそんなつらい思いをさせちゃいけない気がした。

新アルバム発売決定にちなんでNEWSのことを改めてちょっと考える(後編) - ポップカルチャー偏愛記

 

こうやって前に自分のブログでも書いていたとおり、 NEWSがアイドルとしてグループを続けていくことを選んだのは、あるいは選ぶことができたのは、もしかしたら選ばされた、と言えるのかもしれないけど、それは、ファンの存在があったからでした。これはメンバーが各所で語っていることであります。

そしてファンも、NEWSが見せてくれるファンタジーがないと日常を生きていけない、という切実な気持ちでNEWSの再始動を待っていたのでした。

美恋DVDに映るファンのひたむきな姿は、わたしを感動させます。最初わたしは、ファン込みでNEWSが好きかもしれない、と感じたものでした。(上記ブログ参照)

そしたら大谷さんも同じく、美恋魂DVDでのファンたちの姿に感動したとおっしゃっています。

ここに集まっている人たちはアイドルという存在がいる、ということで生きていける人たちなんだって。それをわかったうえで、アイドルとしての役割をちゃんと引き受けているんだよね。


大谷さんが「ファンタジー」と呼ぶときに何を前提にしているのかちゃんとわからないのでズレているかもしれませんが、わたしが考えるファンタジーとは、エンターテインメントとほぼ同義です。

エンターテインメントというのもまたはっきり定義しなくてはいけませんが、ただのパフォーマンスとは違います。エンターテインメントはエンターテイナーとそれを見つめる観客の存在が前提になっています。「entertain」、すなわち誰かを楽しませるものというわけです。その「誰か」がいないと、エンターテインメントにはならないわけです。つまりエンターテインメントは、そもそもその言葉自体が演じ手と受け手という2者の存在を内包しているわけです。

そして、あの日、秩父宮ラグビー場に集まり対峙したNEWSとファンたちは、互いの存在を確かめ合い、互いにずっと一緒にいることを誓い合いました。(2者が直接対峙できるコンサート会場は、エンターテインメント=ファンタジーが実現される最たる場だと思います) 気持ちを確かめ合ったあとのお互いのデレデレ具合は恥ずかしくなっちゃうほど。

だけどNEWSはそうやって、NEWSが作るエンターテインメント、NEWSが届けるファンタジーは、キミたちファン抜きでは成立しないんだよ?と、真のアイドルになるためのイニシエーションの前に、ファンに「NEWSというファンタジーへの参加」について、再度念を押したような気がしました。そしてもちろん迷う間もなくファンはその気持ちに応えます。

NEWSとファンは、運命共同体というとちょっとダサいけど、でもそうとしかいえない関係だと思います。NEWSはファンのためにアイドルとして生きることを選んだ、同時にファンもNEWSとともにファンタジーに参加する意志を固めた。たぶん、わたしがDVDに映るファンの姿に感動するのは、ファンタジーに対する双方の固い覚悟を目の当たりにするからだと思います。わたしが美恋を見て、ファン込みでNEWSが好きになったのは、むしろ当然のことだったのでした。


6人から4人になったときに、それでもファンタジーを諦めなかったNEWSとファンの皆さまのおかげで、わたしも遅ればせながらNEWSに出会うことができて、ようやく1年が経とうとしています。この1年、NEWSのおかげで充実した日常を送ってこれました。本当に感謝しているし、だからこそわたしもしっかり応援しなければいけない、NEWSにばっかり役割を背負わせて、自分だけぬくぬくとはしてられないと思う所存でございます(いやー、自分で書いてても熱量がすごい)



さて、その後のNEWSはアルバム『NEWS』『White』、そして『QUARTETTO』という大名盤に次ぐ大名盤をリリースしています(レンタルでもいいからどうかすべて聴いてほしい)

最新アルバムのタイトル曲である「QUARTETTO」について、わたしは以前このように書いています。

サビ前の歌詞ですが、わたし完全に「燃え尽きるまで」とささやいて言われる「カルテット」を別にして考えていたけれど、これは本来は「燃え尽きるまで カルテット」なんじゃないか、と今さっき思い至り、戦慄しました。
つまりこの部分は、「どうせなら燃え尽きるまでカルテットでやってくぜ」という、彼らの意思表示に思えるのです。
そうすると2番、4人がひとりひとり、「カルテット」と順番に言っていくところは、まるで、ぼくたちはカルテット(4人)で進み続けていくよ、ということを、ひとりひとりが順番に誓っているように聴こえる。
たぶんあれは、ファンを歓喜させるためだけのささやきではなく、人生をかけた誓いの言葉ととらえなければいけなかったのだ。
NEWSとして4人で燃え尽きるまで進んでいきますよ、というその誓い、(中略)なぜだろう、わたしはほんの少し苦しい。
「アイドル」という重い宿命を背負ってしまった4人の、重い誓いだからだろうか。
せめて、この4人でいてよかった、他の誰かだったり、ひとりだったりしないでよかった、なんて、わたしはひとりでそんなことを考えています。

(再追記)NEWSアルバム『QUARTETTO』感想①「QUARTETTO」〜これは誓いの歌だった - ポップカルチャー偏愛記


なんてえらそうに言ってるけど、「QUARTETTO」よりももっと前から、というか最初から、NEWSはとっくに誓っていたんですね。失礼しました。いやはやまったく、自分の鈍さには逆にあっぱれと言いたくなります。


さて、ちょっともうあまりに長すぎるから(9000文字に迫る勢い)止めますが(でもいつかまたこんな感じの熱量で書くんでしょうが)とにかくこれだけは言いたい、

大谷ノブ彦さん、どうもありがとうございました。

これからも同じジャニーズ好きとして(あとたぶん音楽の趣味とか超合いそうなので)応援していきます。どっかの大学か何かで講義とかするんだったらわたし絶対行きます。


あと少プレスタッフの皆さま、大谷さんを呼んでくれてありがとうございました。そうやってどんどんNEWSにNEWSの魅力を教えてあげてください。

そう思うとNEWSの魅力を優しく教えてあげる「少プレ」と、NEWSの弱いところに厳しく向き合わせる「変ラボ」の、見事なまでのアメとムチ感…!

そして少プレのサイトからは番組に対するメッセージが簡単に送れますので、ご意見でもご感想でも、ぜひ送りましょう。彼らの魅力を見出し、弱さを指摘してあげましょう。NEWSというファンタジーを作るのは、わたしたちでもあるわけなのでね。

ザ少年倶楽部 プレミアム - NHK

ちなみに「ムチ」のほう(変ラボ)のサイトはこちら

変ラボ|日本テレビ


そもそも「ファンタジー」ってなんだ、「エンターテインメント」ってなんだ、なんでわたしたちにはそれが必要なんだ、などなど考えなきゃいけないんですがもうわたしの脆弱な頭はパンクしそうです。すみません。当初描いていた内容とまったく違う感じになってしまいました。とにもかくにもわたしたちにはファンタジーが必要です。(もうふらふら)

こんないつもに増してひどい駄文に長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。