読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ポップカルチャー偏愛記

なんだかんだで結局J-POPにどっぷり浸かり救われながら日々を送る28歳女子の、切々たる日々に触れるすべてのポップカルチャー(主にジャニーズ)についての記録

SMAP×SMAP最終回によせて 〜ポップカルチャーは終わらない

J-POP SMAP テレビ ジャニーズ

2016年12月26日月曜日、フジテレビの長寿番組、SMAP×SMAP(以下スマスマ)が最終回を迎えました。

それは番組の20年にも及ぶ歴史のまごうことない総集編でしたが、ほぼ全ての抜粋に自分が思っていた以上の懐かしさを呼びおこされて、自分の人生のうちで、スマスマに割いてきた時間がどれほど多かったかを思いました。

ただ、27時間テレビの森くんの手紙の朗読が終わった時点でいよいよ耐えられなくなり、というか、自分がまだSMAPの終わりを目の当たりにする準備がちゃんとできていないことに気づき、テレビの前から離脱しました。録画をしていたので、明日ちゃんと終わりまで観ようと思います。

 

 

これでSMAPは、グループとして、もう公の場に出ることはないでしょう。

これまで散々SMAPの解散を惜しんで涙を流したり愚痴をこぼしたり文章を書き散らかしてきました*1が、今年末の解散までいよいよ秒読みとなった今では、「SMAPの」という肩書きが取れた5人の、これからの活動を応援しようという前向きな気持ちがしっかり育ってきていて自分でも安心しています。

今後、5人それぞれのソロの仕事を見たときに苦々しい気持ちになる、ということはないと今はもう断言できます。

 

来年からは、SMAPの5人には、それぞれ自分の得意な分野での活動に邁進してほしいです。自分の好きなことを目一杯やって、充実した芸能活動とそして充実した私生活を送ってほしい。 

ただ、それでも、この28年間SMAPとともに生きてきたわたしたちが、5人の姿の後ろに、「SMAP」の姿を見てしまうのは許してもらえればと思います。

そして願わくば、5人にも、「SMAP中居正広」「SMAP木村拓哉」「SMAP稲垣吾郎」「SMAPの草彅剛」「SMAP香取慎吾」であったことは一生忘れないでいてほしいです。

だって、SMAPは消えても、彼らのなかの「SMAP的な何か」はきっとずっと消えない。それほどまでに「SMAP」という存在は強力だったから。

だけど、その「SMAP的な何か」は、呪いのような「解くべきもの」「振り払うべきもの」ではなく、SMAP以外の他の誰かが手に入れたくても手に入れられない、本当に特別な、能力と呼べるべきものだと思います。なので5人にはこれからも各々の活動を通じて、その「力」を育て、そしてそれを体現していってほしいです*2

 

*****

 

この1年、わたしたちはSMAPの解散にまつわるあれやこれやで苦しめられたけれど、逆に、それによって生まれた良い点というのもありました。 

それは、「SMAP、ひいてはジャニーズ再評価への流れ」です。

 

彼らの曲を聴く機会が増え、彼らのこれまでの歩みを見る機会が増え、ジャニーズ事務所という存在を意識するようになり、皆、自分の人生に少なからずあったSMAPとの接点を改めて感じたり、SMAPの大きさ、ジャニーズ事務所の不思議さ(いい意味でも悪い意味でも)を知ることになったと思います。

また、SMAPという存在に対し、音楽的・社会学的な論考を試みる批評家たち(矢野利裕さん*3など)の登場もありました。

 

それと並行して、ただでさえ軽視されがちなJ-POP、さらに、これまでスキャンダラスな側面ばかりがクローズアップされたり「イロモノ」的扱いが多くなされてきたジャニーズという音楽ジャンル、その真の文化的価値に皆が気づきはじめてきた、という印象がわたしはあります。近年の傾向だと思いますが。

それは、SMAPがどれほど同時代の日本のミュージックシーンの最先端へ目配せしているかということが音楽ファンに周知されたり*4、あるいはTOKIOやV6の夏フェスでの実力が知らしめられたり、ジャニーズグループそれぞれの努力で広がってきた傾向だと思います。

また、プロデューサーや作詞作曲、振付や編曲家など、作り手にスポットライトを当てる番組の存在も大きいと思う*5。すごい人たちが集結して作り上げているJ-POPがおもしろくないはずがない。そしてジャニーズの作品は、すごい人をすごく贅沢に使っているものが多いのです。

 

ちょっとここでは語りきれないので書きませんが、ジャニーズグループの日本のポップ史における価値と意義は、本当に、知れば知るほどとてつもなく大きい。

そしてジャパニーズポップ史の中心の中心に20年以上君臨していたのがSMAPというグループでした。

SMAPポップカルチャーを牽引した時代が確かにあったという事実、それは記録にも記憶にも残っていくことでしょう。

SMAPが、「ジャニーズ=ただのキラキラしたイケメンアイドル」という図式をいかに壊してきたか。いかに「アイドル」の定義を変えたか。いかに「バラエティもやるアイドル」を当たり前にしたか。いかに軽やかにサブカルチャーとの混淆を起こしたか。

SMAPによって確実にパラダイムシフトが起こりました。わたしたちは今、間違いなく、SMAPが設定したパラダイムのなかで生きています。

 

そう、わたしたちは「SMAPの時代」を生きた。それはきっと誇るべきことです。

わたしが「渋谷系」のただなかで生きた人をうらやむように、誰かがビートルズの新曲がリリースされた時代を夢見るように、あるいは誰かがモーツァルトが「クラシック」ではなく「流行音楽」であった時代に憧れるように、誰かがSMAPとともに生きたわたしたちを羨ましく思う、そんな未来が来ることをわたしは確信しています。

 

そして最初、ジャニーさんがSMAPに「平成のクレイジーキャッツ」になってほしい、と思っていたり、それを知ったあと、わたしがBSでやっていた映画『ニッポン無責任時代』を偶然観て、クレイジーキャッツってこんなにすごいのか!!とはじめて知って戦慄したり、そうやって関係のないところで起きたできごとがどこかで繋がって、時折スパークして、カルチャーは連綿と続いていくわけです。

誰かが築いた文化を他の誰かが壊していく、壊された文化をまた他の誰かが見つけて再建していく。再建されたなかに埋もれた文化を他の誰かが掘りあげていく。

ポップカルチャーはこうやって発展していく。ポップカルチャーは途絶えない。ポップカルチャーはなんでもあり。だからおもしろいんですね。というか、だからわたしは、映画でも音楽でも「元ネタ」がゴロゴロ転がってるのが好きなんだな。元ネタは、連綿たる文化の流れの証拠!

 

 

 

というわけで。

 

SMAPの解散を嘆くよりも、この28年間、SMAPと同じ時代に生きることができたことを幸福に思いたい、という境地に至った(というか至るように仕向けた)わたしの思考を無理矢理に文章にしてみました。お気づきかと思いますが、硬めの言葉を使った論理的な文章に見せかけて、実は見掛け倒しの全く感情的な文章なのでした。

 

スマスマの最終回によるダメージは、思った以上に大きいものでした。

そしてベスト盤をまだ聴いていないのも、わたしのなかでの「解散」を少しでも先延ばしにしようとする意識が働いているのだと思います。

いつも別れをこじらせてしまうわたしの臆病さが、今回もしっかり発揮されています。

 

 

*1:参考: 

chatnoirpop.hatenablog.com

chatnoirpop.hatenablog.com

chatnoirpop.hatenablog.com

chatnoirpop.hatenablog.com

chatnoirpop.hatenablog.com

*2:SMAP的な何か」をわたしはまだ明確に言葉にできていないけれど、それはきっと「テレビ」と大いに結びついているものかもしれないなあ、と今日のスマスマを見ていて思いました

*3:著書: 

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

 
SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」

SMAPは終わらない~国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」

 
ジャニ研!: ジャニーズ文化論

ジャニ研!: ジャニーズ文化論

 

*4:願わくばついでに90年代のSMAPの作品がどれだけ明確にアーバンソウル志向だったか、ということももっと知ってほしい

*5:それを端的に示してくれる、関ジャニ∞の番組「関ジャム」のおもしろさとマニアックさは特にすごい。全音楽ファンに観てほしい番組です。しかもそんな本格的な音楽番組をジャニーズグループの関ジャニ∞がやってるっていうのがまた感無量。