ポップカルチャー偏愛記

なんだかんだで結局J-POPにどっぷり浸かり救われながら日々を送る29歳の、切々たる日々に触れるすべてのポップカルチャー(主にジャニーズ)についての記録

わたしが考える〈アイドル〉と〈ファン〉 ① アイドルとは何か

今年6月くらいからずっと「NEWSとわたし」について、ひいては「アイドルとファン」について、考えていました。

8月に観たNEWS15周年コンがあまりに最高だったので、その考察にひと区切りついた感はあったんですが、先日、日テレで放送されていた『安室奈美恵引退SP』を拝見し、安室ちゃんってめっちゃ〈アイドル〉じゃないか、と感じたのを機に、ちょっと今の考えをまとめておこうかな、と思ったのがこの記事の執筆理由です。

これまでもアイドルについて考えたことをいろいろとこの場で書いていて、それはそれで間違ってはいないのだけれど、今回書くこととまったく同じではないので、念のためタイトルに〈2018年9月の〉と言い訳を付けて何を書いてもOKな感じにしたんですけど、次の記事のときどうすればいいのかわからないので修正しました。とはいえ今後のわたしの考察も、2018年9月のわたしが考えたことを土台にして発展していくはず。アイドルのことを考えるとすぐマジメになってしまうのでちょっと硬めな感じになるかもしれませんが、是非読んでいただけるとうれしいです。丁寧に書いていきたいと思います。

といいつつ、〈丁寧に書く〉が苦手なわたしなので、結局思うこと全部ブワーします、な重岡くんスタイルになるのでしょうがどうぞご容赦ください。

 

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2018年9月現在、わたしの〈アイドル〉の定義は明確です。

 

  1. ファンのために仕事をしていること
  2. 誰かの生活の糧になっていること
  3. 作り手がいること

 

この3つだけ。

 

まずひとつめ、「ファンのために仕事をしていること」。

ここで重要な言葉は〈ファンのため〉と〈仕事〉なんですが、まずは〈ファンのため〉について考えます。

どうせ本心ではそんなこと思ってないとか、そういうのはどうでもいい。「ファンのため」と本人が公言していること、これが大事です。

 

安室さんくらい歌唱力があってダンスも見事なら、パフォーマンスをひたすら披露するだけのステージだってみんな満足できるはずなんです。卓越したパフォーマンスはそれだけで見ものですから。たぶんわたしたちがスポーツを観て感動するのはそういうことだと思うんですよね。速く走ったり、高く跳んだり、遠くまで飛ばしたり。パフォーマンスのレベルが高ければ、それだけでも人間はワクワクする。

でも安室さんはそうではなく、パフォーマンスに〈ファンのために、みんなに感謝を伝えるために、みんなに純粋に音楽を楽しんでもらうために〉、そういうファンへの気持ちを乗せていました。

〈パフォーマンス〉が〈エンターテインメント〉になり、〈パフォーマー〉が〈エンターテイナー〉になるのは、自分のためじゃなくファンのためにやるのだと腹をくくったまさにこの瞬間であり、そして、エンターテインメントに触れたファンが、楽しかった、来れてよかった、また次にこの人に会えるのを楽しみにしてよう、それまでわたしもがんばろう、と思うとき、その人は〈アイドル〉になるのだと思いました。 

ふたつめの「誰かの生活の糧になっていること」 っていうのはそういうことです。

ジャニーズのコンサートのときも、安室ちゃんのライブに集まったお客さんたちを観てても感じたんだけど、アイドル自身も、ファンも、スタッフも、みんなこの日のためにたくさん準備して、ワクワクして、緊張して、会場に足を運んでるんですよね。かつての増田貴久少年が東京ドームの後ろから2番目の列で感じた「同じ日の同じ時間の同じ場所にこんなたくさんの人が集まってる」ことのすごさを、NEWSをこんなにも好きな今、強く実感しています。

コンサートの煽りでは、「楽しんでってね!」だけじゃなく、「嫌なこと忘れようぜ」をよく耳にする気がするけど、そんなこといわれなくたってコンサートは完全に非日常の場。日常の些末なことなどすっかり忘れてしまえます。

だけどコンサートはいつまでも続くわけじゃない。結局わたしたちはみんな、日常に戻らなければいけない。それでも、コンサートが始まるまでの日常と、終わったあとの日常は、少し違って見えたりしないですか? わたしは開演10分前くらいからの会場の高揚感が大好きなのだけれど、それと同じくらいに、終わってから家に帰るまでのあの耳と頭がふわふわした感じも好きです。濃密なデートのあとの、あの夢見心地感。

わたし個人としてはコンサートの想い出を反芻するだけで最低3ヶ月は余裕で楽しく過ごせるけれど、もちろんコンサートだけじゃなくて、新譜が出るとかライブDVDが出るとか、テレビに出るとか雑誌に出るとか、ジャニショに写真買いに行くとか、あとNEWSは『NEWSに恋して』があるんでさらに有難いけど、そういうアイドルとのあらゆる〈疑似接触〉が、わたしのセロトニンの分泌を促しているのを感じます。

さらにわたしにとってのNEWSは、ただの癒しではありません。弱っているわたしを慰めてくれる存在であり、わたしも負けてられない、と気持ちを奮い立たせてくれる刺激であり、NEWSみたいに生きたいっていう、尊敬するモデルでもある。それは、彼らが「ファンのために」としている直接的な活動よりも、彼らの仕事への向き合い方とか生き方そのものに表れている魅力を勝手にわたしが受け取っているだけなので、また少し違う種類の〈生活の糧〉なのかもしれませんが、そういう関係性を彼らと築けていることを、わたしはうれしく思います。

 

誰かのために何かをするって、すごく大変なことだと思うんです。

世間的に求められているとしても、やっぱり個人的にはやりたくないことだってあるだろうし、自分が〈誰かのため〉と思ってやったことが〈誰かのため〉にならない場合だってある。社会で活動する以上、その〈誰か〉はひとりじゃないわけだから、好みや意見だってひとつじゃない。

しかも自分のことを好きな人たちのために何かをするって尚更ハードルが上がる。その人たちの期待を裏切れないし、退屈にさせることもできないし、嫌いになられたら困るし。

それでも、そういうリスクを全て背負ったうえで、それでもアイドルたちは〈ファンのため〉と活動を続けるわけです。

 

少々暴力的ないいかたになってしまうけれど、基本的にわたしは〈誰かのため〉に生きることには反対です。もし自分の親しい人が、自分以外の誰かのために生きているというのであれば、わたしはきっとその人の生きかたに介入してしまう、それくらい強く反対します。

だって行動の動機が〈自分以外の誰かのため〉だったら、行動の評価を他人にゆだねることになってしまうじゃないですか。つまり自分的にはうまくいったと思っても、その誰かが認めてくれないことだってある。それって激つらいじゃん。

あるいは自分のとった行動がうまくいかなかったときに、自分がその〈誰か〉のせいにしてしまう可能性もある。「せっかく〇〇のためにがんばってるのに」っていうよくあるやつ。それって相手からすれば、「え、そんなことしてほしいなんて言ってないじゃん」「そんなことされてもうれしくないんだけど」でしかなかったりするんだよね。そんな不毛なやりとりは早く世界から無くなるべき。

というわけでわたしたちは、何があっても絶対に、自分のために生きたほうがいい、 そう思う。

というタイプなので、15周年コンで手越くんが、15年前の自分に向けて「あなたにはファンを幸せにする使命がある」と述べたとき、〈使命〉という言葉の重さに、少し心が痛くなりました。

わたしは、彼らがポジティブに選択した結果としてアイドルでいることを望みます。これしかないとか、やるしかないとか、そういう追い詰められた末の選択であってほしくないんです。本当につらくなったときには辞めたっていいと思う。彼らがアイドルであることを強いる権利など、誰にもないから。

だけど、それでも、やっぱりできるだけ長く、彼らにはアイドルでいてほしい。それがファンとしての本音です。だから、その対価としてといっちゃなんだけど、わたしはいちファンとして、彼らがつらくならない状況をつくりたい。好きだっていう気持ちを声を大にして届けたいし、商品を購入したり、ファンレターを書いたり、ちゃんと行動で気持ちを示したい。そう思うんです。

それに、ファンの評価がアイドルの評価につながることも往々にしてあるから、人として恥ずかしいことや、モラルに反することはしたくない。わたしはNEWSのファンになってすごくうれしいから、NEWSにも、わたしがファンになってくれてうれしいって思ってほしい。だからといって「ねえねえわたしがファンになってうれしい?♡」ってバカみたいに本人たちに聞きたいわけではもちろんなくて、自分個人の心持ちの問題。

〈誰かのため〉という本来不可能な命題を掲げて活動してくれている人たちへの、最低限の礼儀は絶対忘れちゃいけないし、〈自分のためにしてくれていること〉を当たり前に思って、そこに胡座をかくような人間ではいたくない。

正直、考えれば考えるほど、ファンのジレンマは根深いなーって頭を抱えたくなる。だから、アイドルとして生きる、って腹をくくった人たちにわたしができるのは、そうやってこっちもこっちでファンとして腹をくくることしかない気がするんですよね。

ファンを幸せにすることが、どうか手越さんの幸せに、NEWSの幸せに直結していますように。そういう意味で、増田さんの口から「今、幸せだよ」って言葉を聞けたときにはほっとした。ありがとう。まっすーには救われてばっかりだ。

 

さて、最後の「作り手がいること」について。 

これは単純に、もし作品が自己表現の手段なのであれば、〈アーティスト〉とか〈表現者〉とか、そういう別の呼び名のほうがふさわしいはず、少なくとも〈アイドル〉よりもっと適切な呼び名があるだろうと考えるからです。

それに、自己表現ってやっぱどうしてもエゴが出すぎちゃったり、偏っちゃったり、発想にも限界があったりするはず。例えばインディーバンドって半数以上がアルバム1~3枚で解散しちゃう気がするじゃない。それに、自分のバンドではぱっとしなかった人が、プロデューサーや作詞・作曲でものすごい活躍してるとかもあるし。

演じ手と作り手が違うからこそ、何かに偏らずに多様な楽曲を歌えるし、そのおかげで多様な、そしてより多数のファンの心をつかむ。さらに演じ手側も作り手側も、自分だけじゃできないいろんなことに挑戦できて、成長できる。もちろん演じ手だって、インプットだけじゃなく、アウトプットもできる。そうやって作り手と演じ手が相乗効果でつくっていくのがアイドルのおもしろさだと思うんです。特に今のNEWSのかたちは、最高にクリエイティブだし、最高におもしろい。振り付けなんてそんなにないはずの「生きろ」のMVでチラッとair:manさんが映ったり、シゲがラジオで話してた、『カメラを止めるな!』をair:manさんたちにオススメされたとかいう話を聞くにつれ、あーいいチームだなあと思いますし、アイドルのひとつの目指すべき在り方だという気がしています。

 

あとNEWS最新シングル「生きろ」通常盤のカップリング曲、「LVE」を聴いて確信しました。

アイドルは徹底的な〈演じ手〉であるからこそ、逆説的に、自作自演のアーティストよりも自由だし、強い発信力を持つのだ、と。

「LVE」という曲は、もはや言葉では説明できない曲なので、とりあえずいちどでもいいから聴いてみてほしいんだけど、たぶん、いや絶対、今年6月の騒動を受けてつくられただろ、と思わせるような歌詞、表現です。

 

完璧を求める奴等に構っている暇は

1秒たりとも残っちゃいない

支え合ってここまでやってきたから

 

LED ZEPPELINと聴き紛うような、70年代ハードロック風のイントロのあと、シゲアキにこうまくしたてられたとき、わたしは思わず快哉を叫びました。そう、そうなんだよ、ほんと、1秒たりともお前らに割く時間はないんだよって。そして笑っちゃって、それから泣いた。NEWSの口からはっきりと述べられた宣言が、すごく頼もしくて、うれしかった。

 

絶え間ない攻撃に怯むな

手の中の鎖を握りしめろ

直面する現実から逃げるな

その汚れた足で踏みとどまれ

 

あのときに感じた、やり場のない憤りと怒り、それに不安と悲しみ。この数ヶ月で消えつつはあったんだけど、ほんとに最後の最後に残っていた心の底の一抹の淀みさえ、この曲の風圧で、完全に一掃された感。こんな曲歌えるNEWSって超大丈夫じゃん、って思った。

だけどこの曲、NEWSの4人がつくってるわけじゃなくて、〈作詞:篠原とまと、作曲:伊藤賢・辻村有記〉という、「夜よ踊れ」制作陣がつくっている曲なんですよね。だから、いったいこの歌詞に込められたメッセージがNEWSの本心なのか、あるいは歌わされているのかはわからない。もし、NEWSが4人が4人で作詞作曲をしているグループであったら、たぶんこんな歌は歌えてない。

でもNEWSはチームだから、作り手さんたちがこういう曲をつくって、それを4人が歌って、シングルのカップリングとして収録されることになったって時点で、NEWSチームの総意と受け取れますよねこれは。作り手も歌い手も、覚悟がすごくない?

これができるのは、NEWSがアイドルだからこそだと思います。

アイドルだからこそ叩かれる。それに対して、アイドルであるからこそ持つ武器を使って戦う。いろいろ経験してきたNEWSだからこそ歌える、そして歌わなければならない (と作り手が判断した)「LVE」という曲で、NEWSのアイドルとしての強さと覚悟、チームとしての結束感を改めて感じました。最高にかっこいいです。

 

 

おっと、1点目の〈仕事〉について書いてなかった。

これには賛否両論あるのでしょうが、わたしははっきりと〈アイドル=職業〉だと考えています。

アイドルは仕事。だって、24時間アイドルでいることを望まれて、その規範に沿って生き続けなければいけないなんて、まるで奴隷じゃないか!

当たり前のことだけど、彼らはアイドルである前に人間ですからね。人間としての幸せをないがしろにしてほしくない。もし悲壮な努力を強いられ続け、そのプレッシャーに耐え続けなければアイドルじゃないというのであれば、それはもはやヒューマン・ライツ・ウォッチ案件。

仕事の場以外でアイドルである必要はない。その人の私生活がどうあろうとファンのわたしたちには関係ない。まあそう考えるようになったのは自分も年を重ねてきたから、というのもあるでしょうし、この考えかたをみんなに強いるつもりはもちろんありません。

それに、確かに、ステージの上にいない、素顔の安室さんもほんとうにかわいくて飾らなくて素敵で、「え…友だちになりたい…」と思うほどだった(おこがましい)。でも、やはりファンのみんなのために、音楽とダンスという「好きなこと」を100%の力で表現しようと、練習や準備を重ね、緊張しながらもステージに立つプロとしての姿にはぐっと来るものがありました。

NEWSもそう。もちろん4人とも人間として素敵で、友だちにも恋人にもなりたいのは間違いないんだけど、例えばもし神様が現れて〈わたしがNEWSと結婚できるがアイドルとしてのNEWSが失われてしまう未来〉と〈わたしとNEWSがプライベートで交わることはないがアイドルとしてのNEWSは永久に不滅の未来〉という2択を迫られたとしたら、間違いなく後者を選択しますからね。ほんとだよ。迷わない。

  

 

はい、というわけで、これがわたしの考える〈アイドル〉でございました。

さて、長くなりましたが次の記事でもうちょっと〈ファン〉について考えます。